風力発電 本当の豊かさを求めて行ったら

 
「起こってもいない事をくよくよ考えるべきではない、成る様に成る」とよく言われています。

しかし現状のままでいいのかと思う事もあります。

毎日毎日豊かな生活を追い求め、忙しく働いていてあれこれ余計な事を考える余裕のないとき、起こっていないからといって、今行われている事を見つめなおす事もなく、そのまんま成り行き任せにしてしまうのも、人間として少し手抜きかもしれません。

現代の技術革新はすさまじく、あらゆる面で豊かな生活を実現していると思える事も少なくありません。

しかし例えば、江戸時代に比べ現代生活で失ってしまった事は何だろうと思い浮かべてみると、緑豊かな江戸の町や、澄んだ空気と、美しい青空に映える真っ白な江戸城、甘い香りを運ぶそよ風など、何気ないけれど私たちが失いつつある、そして実は求めている都市における自然環境の豊かさだったりします。

豊かさを追い求め、あらゆる豊かさを享受しながら、なぜか満たされない心の向こうに、過去の本当の豊かさの記憶が蘇ってきます。これは幻想でしょうか。

このまま原子力立国という考え方でガンガン進んでゆくのがいいのか。土木工事会社の為に道路を作り続け、国中に隙間なく道路を張り巡らせて、都会も田舎も美しい空気の観光地も車で埋め尽くし、CO2を日本全国均一にぶちまいてゆくのがいいのか。

失われゆく自然を見るために美しい山や緑を切り裂いて、そのど真ん中に広い道路を作り、多くの人々が車で、あるいは土足で踏み込んで行くという事がいいのか。

失ったものの大きさに気づかないようにする事でいいのか。

バーチャルな世界を緻密に作り出し、その環境の中に暮らし、本当の自然がどんなに贅沢なのかという価値観を持たない世代の出現があっていいものなのか。

原子力を発展させ、この世からリアルな自然環境に住めない状態を作り出して、すべてバーチャルに作られた環境の中に暮らすのがいいのかどうか。

風力発電の出現は、全てをバーチャルな世界に持ってゆこうという時、少しスピードを緩めて、もう一度立ち止まって考える余裕を与えてくれる事のような気がします。

どのような選択も自由かもしれません。しかし、リアルな自然の美しさや甘い香りのする、軟らかな風に親しんだ世代の人間としては、これ以上道路や原子力発電やCO2で素晴らしかった自然環境をぶち壊し、失いたくないというのが本音です。

風力発電は、人類が産業革命以降獲得した豊かさの代わりに失いつつある、実は我々が本当に求めているものを、スピードを緩め、見極めることができるようにしてくれる技術のように思います。

目標に向かって脇目も振らず全速力で進んでいる時、今目標としている事が、本当に自分が追い求めている目標なのか、見極めてゆくのは大切な事です。

豊かさを得ようと行動した結果、失ってしまった本当の豊かさに気づいてももう取り返しがつかないのです。全てを失ってしまう前に、本当の豊かさとは何だったのかよくよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

そしてそれは起こってもいないことを心配するという事ではなく、環境を破壊しているものが何なのか、見極めてゆく事が必用なのかもしれません。