風力発電 再生可能エネルギーの拡大と発展

政府は6月8日にドイツで開かれる主要国首脳会議「ハイリンゲンダム・サミット」で、国際社会が「2050年までに世界の温室ガスの排出量を半減させる」との目標を掲げるよう提案する方向で検討を始めました。

サミットは地球温暖化が主要テーマになる見通しで、この問題での日本の前向き姿勢をアピールする狙いのようです。

この目標は国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が4日にまとめた報告書に盛り込まれています。

日本政府はこの目標「2050年までに世界の温室ガスの排出量を半減させる」を表明するからには、達成する為の何らかの目論見があっての事だと思います。

では具体的にどのようにしてこの目標を達成しようとしているのでしょうか。

資源エネルギー庁のHPを見る限り、日本の方針として、化石燃料による火力発電に替え、そしてさらに増加する電力エネルギー需要に備え、基本的にCO2を発生しない原子力発電の比率を、現在の水準より高めてゆく計画です。〔原子力立国計画〕

現在稼動している原子力発電機は55基ありますが、今後の計画としてあと20基以上の建設計画、額にして約10兆円のプロジェクトとなります。

しかし最近の原子力発電所の臨界事故隠し、放射性廃棄物の受け入れ先の拒絶、そして六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場で耐震設計の計算ミスの発覚など原子力発電の安全性の危機が叫ばれています。

それでも政府は、世界に対し恥ずかしげもなく、国会の強行採決さながらに見直しの論議も行われぬまま、強引にこの計画を推し進めていく方針のようです。

1950年代に始まった日本の核開発(原子力発電)は当時の政治家が、《下記〔参考.2〕を参照》原子力の平和利用の名の下にいつでも核武装できるよう、実は核兵器開発の目的で始められました。

東海村で始まった原子力発電から、現在では55基もの発電機を持つにいたりました。そしてあと20基以上もの建設計画があります。

さらに現在では環境を守る為、CO2を半減する為のエネルギーシステムの中核になろうとしているわけです。


国としても10兆円ものプロジェクトであり、すでに方向が決まってしまっているわけですので、大きく舵を切るなどと言う事はまず考えられません。

兎に角多少の危険は覚悟の上で強行突破あるのみでしょう。

危険の回避は次世代へ先送りの構えです。

しかし取り返しのつかない事が起きてからの方針変更はいただけません。

核分裂を使用した、原子力発電の凍結を決めたドイツのように、勇気を持って対処するとともに、これに替わるエネルギーシステムで現実的なものは、再生可能エネルギーをおいて他はないと断言します。

これまで核分裂の使用の真の危険性について日本で表立って議論されてきた事はありません。

政府がエネルギー政策を決定する根拠として電力会社のレポートが挙げられます。そしてそれは日本の国会での議論を支えるほどの強大な力を持ち合わせています。

〔参考〕
『電力会社の幹部の方の意見をインターネットで拝見しました。ドイツが原子力発電を否定して再生可能エネルギーにその力を傾けることができるのは、その地勢的に有利な条件が整っている為、可能となっている。(ヨーロッパ中に張り巡らされている送電線のおかげで、再生可能エネルギーの出力の不安定さを、お隣フランスの原子力発電でカバーできる)と述べています。遵って海に囲まれた日本は自国において原子力発電を持つしかない。と言う結論です。』

そしてウィキペディアでも述べられているように
〔参考〕
原子力発電に関する様々な評価をする場合、極めて高い専門性が必要となる。しかし、日本においては原子力発電の研究者はほぼ100%電力会社や機器メーカ、その関連機関で働くか、その助成を受けている(大学など)。したがって、中立的な見解、特に批判的な発言をしたり、不利なデータを出すことがきわめて困難になっている。一方、原発反対側の意見も、専門性に欠けていたり、データ不足であったり、またあまりにもイデオロギー的であったり、情緒的議論に流れがちである。』

          

原子力発電に対する否定的な意見は日本ではまったく権威を持ちません。

グローバルな視点による研究もまったく相手にされていません。


欧米の再生可能エネルギー、特にドイツの風力発電の伸び率を日本と比較して見ますと、

1989年 ドイツ・・27MW/年、  日本・・9MW/年 両国の発電量の差は3倍
10年後 ドイツ伸び率164倍     日本伸び率22倍  
1999年 ドイツ・・4445MW/年、日本・・195MW/年発電量の差は23倍
5年後  伸び率4倍         伸び率6倍
2005年 ドイツ・18428MW/年、日本・・1078MW/年発電量の差は17倍 
15年間  伸び率682倍       伸び率120倍

上記のように伸び率に大きな差が見られます。

ドイツは日本のRPS制度《下記〔参考.1〕を参照》とは異なる固定買取制度を導入して、風力発電の普及開発に成功しています。

そしてさらにその開発範囲を海上に広げ、洋上ウインドファームでさらに風力発電を、拡大発展させようとしています。

CO2削減を、日本のように排出権クレジットのやり取りに頼るばかりでなく、さらに原子力発電に必用以上に頼ることなく、本質的に削減しようとしているのです。

日本にとって、再生可能エネルギーの拡大発展が、一番正攻法なCO2削減の方法であると思いますが如何なものでしょうか。

〔参考.1〕
飯田 哲也の「エネルギーデモクラシー」

2003年度に日本の電力会社が募集した風力発電の「枠」は、合計で33万キロワットであった。日本の現状から見れば大きい数字だが、ドイツが2002年に設置した風力発電の規模の10分の1にすぎない。それ以上に驚くべき事実は、この33万キロワットという枠に対して、応募のあった風力発電を合計すると、なんと204万キロワットにも達するのである。

(中略)

現在の無惨な状況は、何よりも第1に、昨年4月に施行された「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」、通称「新エネRPS法」が原因である。そもそも、はるかに堅実な普及制度を選択することができたにもかかわらず、政府(=経済産業省)が「RPS」という制度を選択したことが失敗の始まりとなった。RPSとは、1990年代後半から欧米を中心に考え方が広がってきた自然エネルギー促進制度の一つで、「Renewable Portfolio Standard」(再生可能エネルギー割当基準)の略称である。電力会社や消費者に対して、目標年次までに電力販売量や電力消費量に占める自然エネルギーの比率を高めるよう目標値を義務づける制度で、その過不足をクレジットのかたちで販売することで、自然エネルギーの設備の有無にかかわらず、すべての電力会社が義務を達成できる仕組みである。しかも、RPSクレジットの取引市場をとおして、自然エネルギーのコストが削減できるという一石二鳥の効果が、当初のRPSのウリであった。そのため一時期は、官僚や経済学者に一種のユーフォリアのような期待を生み出したのだが、後述するように、先行する英国で制度の欠陥のために混乱が生じるなど、現実にはさまざまな制度設計上の困難に直面している上に、制度そのものの持つ国家管理的な性格もあって、欧州でも日本でも徐々に懐疑的な見方が広がってきている。

制度選択の失敗に加えて、日本(の経済産業省)は制度設計でも致命的なミスを犯している。官僚特有のたてわり性向のために、電力自由化政策や地球温暖化政策との調和を試みた形跡すらない。不透明極まりないプロセスのために、電力会社による水面下での政治圧力を受けて、2010年までにわずか1%増という「小さすぎる目標値」に抑えられたばかりか、その「小さすぎる目標値」すら5年先まで先送りするという姑息な策が弄されている。同じ期間に、ほぼゼロから10%へと拡大を目指すことを政治的に決めたドイツや英国と比較するととても「目標値」とはいえず、むしろ「抑制値」と呼ぶべきであろうし、事実、そのように機能している。

(中略)

これに関連して、官僚主導の政策決定プロセスは、公共政策の観点から見て、本来の民主的な手続きや市民参加を欠いているという問題を孕んでいるだけでなく、新エネRPS法での目標値の歪みなどでまさに立証されたとおり、その密室的な手続きがゆえに、古典的な政治介入によって政策が「歪められる」懸念がある。経済産業省が、議員立法で成立の可能性の高かった「自然エネルギー促進法」の成立を遮り、それに代えて新エネRPS法を成立させた動機は、自然エネルギーの普及という「公共性」を真摯に追求したというよりも、官僚組織としての「私的利益」の追求に他ならない。その結果として、自然エネルギーの促進そのものの普及が滞り、混乱に陥っている現状を考えれば、「公共性」に反していることは明らかだろう。

 加えて、「知識生産の質」の問題を指摘しておきたい。新たな公共政策の導入に際しては、本来であれば、公共性の高い複数の目的をベストパフォーマンスで達成しうる、慎重を期した制度選択と設計が求められる。しかしながら、そのような配慮をした痕跡はなく、自己利益と業界調整を閉鎖的に行う官僚の体質や手続きでは、何よりも公共政策に求められる「知識生産の質」において著しく劣っている。


〔参考.2〕

核開発はアメリカでは核兵器の開発として戦前から行われており、戦争中に核爆弾が、日本に対し使用され、戦後原子力の平和利用という事で、原子力発電所が、1951年にアメリカで初めて建設されました。

日本での核開発は、1952年の4月、敗戦後の占領下を脱して日本が独立した日に始まっています。吉田内閣時代の国会答弁で現在の科学技術庁設立が打ち出され、原子力の平和利用の名目で原子力発電の開発が行われますが、その付属研究所では秘密裏に原子力兵器開発が目論まれていたことが明らかになっています。

岸信介は、原子力開発が自動的に核武装する力を保持することになると自伝の中で明記しています。佐藤栄作も外務省の内部文書で、原子力利用を推進して核武装へのポテンシャルを高めることや、エネルギー利用の真意が国民に悟られないように細心の注意を払うべきだということを主張しています。

高速増殖炉六ヶ所村の再処理工場など、プルトニウム利用に日本が積極的なのも、現在の核兵器プルトニウムが不可欠だからとも言えるでしょう。
             


広島と長崎で、何十万人もの罪のない人々を殺傷した、核分裂を使用した爆弾の記憶は、現在の我々日本人の中でも半減期を迎えようとしているのでしょうか。
この時の厳しい経験は活かされないのでしょうか